出雲大社と伊勢神宮の参拝はどっちが先?創建の歴史・神話の関係・格式を徹底解説

出雲大社と伊勢神宮は、日本の神社の中でも特に格式と信仰を誇る二大神社です。どちらも古くから全国の人々に崇敬され、「人生で一度は訪れたい場所」として多くの参拝者を集めています。その一方で、「出雲大社と伊勢神宮、どちらを先に参拝するのが正しいのか?」という疑問を持つ人も少なくありません。

このテーマには、単なる旅行の順序にとどまらず、古来の信仰観や神話、歴史的背景が深く関わっています。参拝の順番を考える際には、神道の教えや神々の関係性、さらには現代の参拝文化まで多角的な視点が必要です。

この記事では、「参拝の順番」という実用的な観点を軸に、出雲大社と伊勢神宮の創建の歴史、神話における位置づけ、そして格式の違いまでをわかりやすく整理します。参拝を予定している方や、神社文化に関心のある方が、自分なりの納得できる順序を見つけられるよう解説していきます。

出雲大社と伊勢神宮の基本情報

出雲大社とは

出雲大社(いづもおおやしろ)は、島根県出雲市に鎮座する日本を代表する古社です。主祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)で、国造りや縁結びの神として知られています。社殿は壮大な大社造(たいしゃづくり)という日本最古の神社建築様式の一つで建てられており、荘厳な雰囲気を感じることができます。

古くから「出雲の神」として全国の人々に信仰されてきた背景には、国譲り神話に登場する大国主命の存在があります。毎年旧暦10月には全国の八百万の神々が集うとされる「神在祭(かみありさい)」が行われ、全国から多くの参拝者が訪れます。

また、出雲大社のかつての社号は「杵築大社(きづきたいしゃ)」で、明治4年に現社名へ改称されました。縁結びをはじめ、家庭円満、商売繁盛など、人と人との良縁を願う参拝が多く見られます。

伊勢神宮とは

伊勢神宮は三重県伊勢市に鎮座し、内宮(ないくう)と外宮(げくう)の二つの正宮を中心に構成されています。内宮には天照大御神(あまてらすおおみかみ)、外宮には豊受大御神(とようけのおおみかみ)が祀られています。天照大御神は皇室の祖神であり、日本国の象徴的な存在とされています。

伊勢神宮は「神社本庁が本宗と仰ぐ神社」として位置づけられ、全国の神社の中心的存在とされています。境内は広大で、内宮と外宮のほかにも別宮や摂社・末社を含めると125社もの神社が存在します。

また、式年遷宮と呼ばれる20年に一度の大祭が古くから続けられており、社殿を新しく建て替え、神々に新たな御装束や御神宝を奉る儀式が行われます。この伝統は1300年以上の歴史を持ち、日本の文化や信仰の継承を象徴する行事として知られています。

参拝の順番はどっちが先?

一般的な参拝順序:「伊勢神宮 → 出雲大社」

一般的には伊勢神宮を先に参拝し、その後に出雲大社を訪れる流れが知られています。これは、天照大御神に日々の感謝を捧げたのち、国造りを担った大国主命に報告と祈りを行うという神道的な考え方に基づいています。

この順序は、天照大御神が日本の最高神として位置づけられている点にも関係しています。国家や皇室を守護する存在にまず感謝を伝え、そのうえで人々の縁を司る神に願いを届けるという、信仰の流れが反映されています。

逆の順序が選ばれるケースも

一方で、出雲大社を先に参拝する人もいます。「出雲で縁を結び、伊勢で感謝を伝える」という考え方は、個人の願いを重視する現代の参拝スタイルとして広まりつつあります。特に、恋愛成就や良縁祈願のために出雲大社を訪れ、その後に伊勢神宮で報告と感謝を行う参拝ルートを選ぶ人も見られます。

また、季節や祭事の時期によっても順番が変わる場合があります。たとえば、10月の「神在月(かみありづき)」には、出雲に全国の神々が集うとされており、この時期に合わせて出雲大社を訪れる参拝者が多くなります。

距離・ルートから見た順番

地理的に見ると、関東や関西方面から訪れる場合は、伊勢神宮から出雲大社へ向かうルートが自然です。伊勢神宮がある三重県から出雲大社まではおよそ450キロメートルほど離れており、車で約6〜7時間、公共交通機関を利用する場合も新幹線や特急列車を乗り継いで同程度の時間がかかります。

旅行プランの組み方によっては、名古屋・大阪方面から伊勢を経由し、山陰地方へ抜けるルートが効率的です。観光や参拝を兼ねた旅では、この移動順序を意識して日程を立てることで、よりスムーズに両社を巡ることができます。

創建の順番はどっちが先?

出雲大社の創建伝承

出雲大社の起源は『古事記』や『日本書紀』に記された「国譲り神話」に登場します。大国主命が国造りを終えたのち、天照大御神の子孫に国を譲ることを承諾し、その功績を称えるために建てられたとされています。神々の時代にまでさかのぼるこの伝承は、出雲大社が非常に古い歴史を持つことを示す象徴的な物語です。

考古学的にも、古代出雲地域では巨大な柱跡や祭祀遺跡が発見されており、出雲大社の創建が神話の域を超えて古代社会の宗教的中心であったことを示唆しています。特に、かつて存在したとされる古代本殿は、高さ約48メートルとする説があり、当時の技術では考えられない規模とされ、出雲の信仰の厚さを物語っています。

また、出雲大社の主祭神である大国主命は、国土経営や人々の生活基盤を整えた神として知られ、人々の暮らしに密接に関わる信仰が古くから続いてきました。これにより、出雲大社は地域の神から全国的な信仰へと発展していったと考えられています。

伊勢神宮の創建伝承

伊勢神宮は、天照大御神を祀るために創建された神社であり、『日本書紀』によると、第11代垂仁天皇の時代に現在の三重県伊勢市の地に鎮座したと伝えられています。もともとは天照大御神を皇居内で祀っていたとされますが、神託により「清く美しい地」に祀るよう命じられ、各地を巡ったのちに伊勢の地が選ばれたと伝承されています。

伊勢神宮の創建は、天皇家の信仰と深く関わっています。天照大御神は皇祖神として位置づけられ、国家や天皇を守護する神として祀られてきました。このため、伊勢神宮は日本の中心的な信仰の象徴として発展し、古代から「日本の総氏神」として広く崇敬を集めています。

また、伊勢神宮には内宮と外宮があり、それぞれ異なる神を祀っています。内宮は天照大御神、外宮は衣食住を司る豊受大御神を祀っており、この二社の関係は国家の安寧と人々の生活を支える信仰の形を表しています。創建の経緯は文献的にも明確に残されており、古代国家の形成とともに整えられたとされています。

神話・信仰上の関係性

「国譲り」から「天孫降臨」への流れ

日本神話では、出雲大社の神である大国主命が地上の国を治めていましたが、やがて天照大御神の意志によって天の神々が地上を治める時が訪れます。このとき大国主命は、国を天照大御神の子孫に譲ることを受け入れ、これが「国譲り神話」と呼ばれる出来事です。この神話の後に、天照大御神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降り立つ「天孫降臨」へと続いていきます。

この流れは、出雲と伊勢という二つの信仰の象徴的な関係を示すものであり、大国主命の国造りと天照大御神による統治という、役割の移行を表していると解釈されています。出雲が地上世界の基盤を築き、伊勢がその秩序を受け継ぐという構造が神話全体の軸となっています。

神々の役割の違い

大国主命は「国造りの神」として、人々の生活基盤や人と人との縁を司る存在とされています。一方の天照大御神は「天と国家を治める神」として、太陽を象徴し、国家の安泰と繁栄を見守る存在です。両者はそれぞれ異なる役割を担いながら、日本神話の中で重要な位置を占めています。

また、信仰の対象としても両者には性格の違いが見られます。出雲大社では、個人の願いや人間関係を中心とした祈りが多く捧げられ、伊勢神宮では国家や社会全体の安寧を祈る性格が強く表れています。こうした信仰の違いは、神々の役割分担の表れともいえます。

神話における協調の象徴

出雲大社と伊勢神宮は、神話の中で直接的な対立関係にあるわけではなく、互いに異なる使命を果たす存在として描かれています。大国主命が国を譲った後、天照大御神はその功績を称え、出雲に立派な社殿を建てるよう命じたと伝えられています。これにより、出雲の神が敬意をもって祀られるようになり、両神の関係は「譲り合い」と「敬意」の象徴として語り継がれています。

この物語は、支配と協調、天と地、人と神の関係を調和させる日本的な信仰観を反映しています。神々の間に秩序と敬意が保たれることが、人々の世界の安定にもつながるという思想が根底に流れています。

格式と位置づけの比較

格式上の違い

伊勢神宮は、神社本庁が本宗と仰ぐ日本の神社の中心的存在です。最尊貴の神社として社格の対象外とされ、国家の祭祀や皇室の信仰と深く結びついています。古代から国家の重要な儀式が執り行われ、天皇の代替わりの際には慣例として奉告が行われる神社としても知られています。

一方、出雲大社は「別表神社」の中でも特に高い格を持つ神社の一つです。神社本庁の制度においても特別な扱いを受けており、その歴史的・文化的な価値は群を抜いています。古代出雲国の中心として栄えた背景から、出雲地方のみならず全国的に厚い信仰を集めてきました。

また、伊勢神宮が国家と天皇を象徴する神社であるのに対し、出雲大社は人々の生活や人間関係に寄り添う神社としての性格が強い点も特徴です。格式の高さの方向性が異なり、信仰の対象や目的によって評価の軸が変わります。

信仰の広がり

伊勢神宮の信仰は古代から全国へと広がり、「お伊勢参り」と呼ばれる風習が江戸時代に庶民の間で定着しました。伊勢参宮は旅の憧れとされ、一生に一度は訪れたい聖地として人々の信仰を集めました。全国各地に「伊勢講」と呼ばれる組織がつくられ、参拝者たちが旅費を積み立てて伊勢を目指したことも知られています。

出雲大社の信仰もまた広く根づいており、特に縁結びや家庭円満を願う人々からの厚い信仰を受けています。毎年10月には全国の八百万の神々が出雲に集うとされる「神在祭」が行われ、その期間は日本各地で神々が留守にすると言い伝えられています。この祭りは出雲独自の信仰文化を象徴する行事であり、国内外から多くの参拝者が訪れます。

さらに、両神社の信仰は現代にも生き続けています。伊勢神宮では国家安寧を祈願する式年遷宮の伝統が続き、出雲大社では人と人との縁を結ぶ願いが時代を超えて支持されています。こうした信仰の広がりは、それぞれの神社が果たす役割と信仰文化の多様性を表しています。

まとめ

出雲大社と伊勢神宮は、どちらも日本の信仰や文化の根幹を支えてきた存在です。両社にはそれぞれ異なる役割と由緒があり、参拝の順番を考えることは、単なる旅程の問題ではなく、信仰の意味を見つめ直す機会でもあります。

一般的には「伊勢神宮を先に、出雲大社を後に」とする参拝順が知られていますが、神話の流れをたどれば「出雲から伊勢」という解釈も成り立ちます。どちらを先に訪れるかは、目的や信仰の形によって自然に変わるものです。

創建の由来や神々の関係、そしてそれぞれの格式を理解することで、両神社が持つ深い意味がより鮮明に感じられます。旅や信仰を通じて、自分にとってふさわしい順序を選び、心を込めて参拝することが大切です。